冷凍食品メーカーは設備投資の方向もこの40年間に大きく変わってきた。
経済成長が続いていた70年代後半(昭和53年前後)からバブル崩壊までは、作れば売れるという冷凍食品の第1次“バラ色期”。第2工場建設、ライン増設も相次いだ。
しかしバブル崩壊と、米国に突き付けられた「内外格差是正」の圧力により、冷凍食品でも価格是正の動きが顕著に表れ始め、大幅なデフレ現象、値下げ要求につながった。
値下げ要求に対応し、低価格化を実現する最大の力となったのが海外生産であり、特に人件費が安く、日本と同じような原材料が安く潤沢に入手できた中国での生産拡大。
単一工場で数千人規模の若い労働力を抱え、日本国内では不可能となった手作り生産を実現。安さ競争の中で、中国に対する日本の冷凍食品業界の投資が相次いだ。
この20年もの間、メーカーはもちろん、中間流通も小売店・業務用ユーザーも中国など海外生産拠点に注目し、海外工場の重要性はますます高まった。設備投資も海外が優先され、どんどん作って日本に持ち帰ってどんどん売る、という事業構造が定着した。
しかし、海外が注目された一方で、国内の工場は、天洋食品事件が表面化するまで注目されることは少なく、投資の優先順位も低かった。