そもそも筆者が掃除の威力に興味を持つようになったのは、ビジネス雑誌で読んだ次の事例がきっかけであった。
新人の若い営業マンが目星を付けた会社に商品を売り込みに訪問した。もちろん門前払いであった。訪問するたびに門前払いを受けた。
彼は断られても、それでただ帰るのはもったいないと、その会社の営業車を掃除するようにしたのである。
掃除を続けていると、ある日お呼びがかかり、ついに取り引きを勝ち得たそうである。20年以上も前のエピソードで、当時はどこの会社の車もあまりきれいではなかった。「いつまで続くか」と取引先の社員は見ていた、という。本人は掃除をしているうちに、車がきれいになり清々しい気持ちと達成感で、無心の心境になり、続けていたと思われる。
この無心の行為が相手の感動を呼び覚ましたのだ。掃除にはこのような力があることに筆者は気づくことができた。掃除は面倒で、汚くて、嫌な仕事であるが、いざやり始めると次から次へとその範囲が広がっていくほどの不思議な気持ちになる。筆者が社長として赴任した食品工場の敷地の掃除が近隣へと広がったのもその事例で、これこそ自主性発揮の端緒であり、訓練となる。
若い営業マンはどんなに勇気づけられ、貴重な経験をしたことだろう。掃除が“福”をもたらしたのだ。