コラム『ひろい書き』
「日本一!」の校歌に誇り 梶原徳二氏

      梶原会長

 「昔は大らかでよかったよ」――。撹拌機の大手メーカー、カジワラの梶原徳二会長が懐旧談を披露してくれた。氏は戦前、疎開先から台東区の実家に戻り中学受験をめざすも、時期はずれで願書が間に合わず、最後の頼みに訪れた都立七中(現・墨田川高校)でも、「もう締め切った」との返事。途方に暮れていると、面接をしてくれた龍沢教頭が「明日が試験日だけど受けてみるか」という申し出。渡りに舟と受験、無事合格となった。梶原少年をみて、これならと超法規で受けさせてくれたのである。龍沢教頭の太っ腹に感謝したのは言うまでもない。
 ところで七中で有名なのは校歌である。明治大正の文豪、幸田露伴の作詞、「鯉のぼり」「雀の学校」で知られる弘田竜太郎の作曲によるもので、「日本一の校歌だと思うよ」と胸を張る。
 77歳の今も同窓会の代表として2年ごとの集まりには欠かさず出席、皆で校歌を歌うのが慣わしという。