エピソード21、22は私が指導した食品メーカーのひとつの事例である。このメーカーの5S活動は2003年スタート。1996年のО157による食中毒事件を皮切りにして、2000年の牛乳食中毒事件、さらに鳥インフルエンザ、BSE、抗生物質残存、残留農薬、産地偽装、賞味期限改ざんなどの問題が次々に発生した時代であった。
社長や営業担当役員は老朽化した工場を抱え、どこから改善の手を付けていいか、わからなかったと思う。筆者もC社に赴任した時にはまさに同じような気持ちであった。得意先は仕入れ先の安全性に不安を覚え、安心して購入しても良いかを視察に来た。取引停止の危機にも直面した。
そのため、社長の宣言は全社の従業員に訴える力があった。5S委員会も前述のように、経営層から実務担当者により組織され、全社一丸の体制が組まれた。
最初の5S委員会では、末端の実務担当者たちが老朽化による危険箇所、異物混入の危険、非衛生的箇所などに建設的な意見を述べて、経営陣をびっくりさせていた。現場の人たちからはなかなか意見が出ないだろうと考えていたので勇気付けられたようであった。
経営層も妥当な意見・指摘に対しては即座に解答し、また実施の指示を出した。
提案が採用され、実務側委員たちも経営層と直接コミュニケーションを取れる場としての意義を認識したようであった。各階層の共通の意思疎通・双方向性が5S活動を切り口にしてできあがった。
人材は足下に在り、信じて用いるべし