創業210余年の和菓子企業に新風呼ぶ 
売上高、経常利益とも数倍に拡大
株式会社船橋屋 代表取締役社長 渡辺雅司 氏

 8代目当主の渡辺社長

 老舗は「仕似せる」が語源だと言われる。商売をまねて(似せて)行う。つまり先祖代々の商売を守り続ける由緒ある企業のこと。1805年(文化2年)創業の船橋屋(東京都江東区)も「くず餅」の味を守り次代に継承してきた。そんな長寿企業に新風が吹き始めている。10年前に8代目当主に就いた渡辺雅司社長はいくつもの変革を積み上げてきた。その行動力は過去の成功体験に縛られず、変化を恐れない姿勢に集約される。

 ――「くず餅」の製法は昔と変わらないと聞くが、現在の生産量はどれぐらい?
 渡辺 くず餅は初代が湯で練った小麦粉の澱粉(でんぷん)をせいろで蒸し、黒蜜ときな粉をかけて作り上げました。製法の基本は今も変わりません。
 生産量は日産で約2万食です。都内の他、岐阜県と沖縄県に工場があります。原料は水を加えた小麦粉を練ってから水洗いしてグルテンを取り除き、後に残った澱粉を天然水と乳酸菌で発酵させたものです。その発酵工程を岐阜と沖縄の工場で行っています。
 都内の工場では原料を型枠に入れてせいろで蒸し上げる作業から冷却、カット、箱詰め、出荷までを手がけています。
 ――製造期間に比べて消費期限が短いことで知られる。
 渡辺 小麦澱粉を450日間(15カ月)寝かせて発酵させる。そうすることで適度な柔らかさとしなやかな歯ざわりが生み出されます。
 一方で消費期限は製造後2日間。つまり今日作ったくず餅は明後日までの消費期限。というのも原材料は全て天然素材にこだわっており、食品添加物なども一切使用していない。真空パックや脱酸素剤も使っていない。温湿度だけで管理しているからです。
 ――廃棄ロスをいかに増やさないようにするか大変そうだ。
 渡辺 長年蓄積している生産管理データや経験があります。ただ、どうしても1%程度は生じてしまう。日々廃棄ロス削減との戦いです。  
 自然素材を使う、添加物は使わないといったことは経営理念であり、変えることはできません。長期保存ができない商品だから店舗は首都圏で展開しています。
 ――1年以上かけて作った和菓子が2日しか持たない。生産効率の低さが気になる。
 渡辺 確かに弱みではありますが、強みでもあります。2日しか持たないという「はかなさ」、「潔さ」は江戸の粋な部分だと思う。自然の素材にこだわってくず餅を作り続ける愚直な姿勢は変わりません。売れればいいというものではありません。

新工場で自動ライン導入も検討

明治初頭、江戸甘いもの屋番付で横綱に位置づけ
られたこともあるくず餅

 ――現在の店舗数は。
 渡辺 都内を中心に23店。今年2月にシャポー船橋店(千葉県船橋市)を開店しました。4月にアトレ恵比寿(東京都渋谷区)に出店します。この他、今年中に3店舗の出店計画があります。
来年は東京の表参道に旗艦店をオープンさせる計画も進めています。
 ――働き手確保が懸念されるが、人材集めは得意だと聞く。
 渡辺 SNSを積極的に活用した結果、2015年には新卒学生の応募で約1万7000人が来たことがあります。それと当社は人材育成に積極的に取り組んでいます。人材が育たないと企業も拡大できないからです。
 ――社内プロジェクトを立ち上げる手法で人材育成に取り組んでいる。
 渡辺 「見える化」プロジェクトでは作業のセル方式の実現に取り組みました。例えばあんみつを作る際、これまでは製造ラインで作業を分担していましたが、ある作業箇所で滞ってしまい効率が悪くなる。そこで、各工程の生産スピードを1つひとつ測定してチェックし、みかんも寒天も1人で盛り合わせるようにしたところ、1時間当たりの生産数が20〜30%増と飛躍的に改善しました。
 現在は「品質管理」、「衛生管理」、「社内活性化」のプロジェクトを進めています。
 ――事業計画の進捗状況は。
 渡辺 「和菓子唯一の発酵食品」を掲げ、くず餅の製造過程で生まれる乳酸菌由来サプリメントの商品化に取り組んでいます。医療用はすでに商品化していますが、一般用としてジェルタイプのサプリメントを今年中に発売します。今後も乳酸菌を取り込んだ和菓子を多く作っていきます。詳細は言えませんが、アンテナショップも都内にオープンする予定です。
 それと都内に新規工場を建設する計画を進めており、自動化を検討しています。
 ――どの工程で自動化を。
 渡辺 乳酸菌で発酵した原料は、布を敷いた型枠に入れてせいろで蒸しますが、その作業工程を自動化できないかと考えています。今は職人が布を一枚ずつ敷いて原料を入れ、蒸しあがったらせいろから取り出しています。これを原料の充てん方法から変えたり、トンネル形の蒸し器を通す間に蒸し上げたり、発想の転換を図ることも考えています。
 ――様々な事業展開を予定しており、大きな転換期にあるようだ。
 渡辺 祖父は焼け野原から復興を成し遂げました。父は高度成長期に乗って規模を拡大しました。私の役割は「くず餅の本質」を広めていくことだと考えます。
 売上高は父から受け継いだ10年前に比べて約2倍になりました。前3月期で18億円超。今期は20億円を見込んでいます。経常利益も約8倍にまで拡大しています。

時代に合わせて家訓を読み解く

   船橋屋 亀戸天神前本店(東京都江東区)

 ――元は都銀のディーラーだった。事業承継の経緯は。
 渡辺 船橋屋に入社する1年前、6代目の祖父が病で倒れました。余命1年でした。祖父には長男がいたのですが、放蕩息子だったため家から追い出した過去があった。私の父親は7代目ですが養子です。
 病床にあって祖父はとうに追い出した長男に説教をする。それを聞いてしまったものですから、私を可愛がってくれた祖父を喜ばせてあげたい、安心させたいと思って跡を継ぐことにしました。
 ――入社後は内部の構造改革、取引先の見直し、新卒採用の開始など様々な改革を断行してきた。
 渡辺 銀行に勤めていた当時は、会社がどういう仕組みでどういう動きになっているかなど、財務内容も含め全く知りませんでした。入社して初めて見た時に、これは相当改革をしないといけないと思いました。
 ――財務状況が厳しかったということか?
 渡辺 当社は創業からこれまで一度も赤字を出したことはありません。おかげさまで優良申告法人であり、財務大臣納税表彰も受賞しています。財務基盤はしっかりしています。
 そこに私が入社してさらに雑巾を絞りに絞りました。無駄遣いはありませんがアラがありました。昔ながらの経営手法でしたので在庫を積み上げたままだったり、長い付き合いの取引先には月2回も支払いがありました。そこで100年以上続く取引先を切ったり、仕入先を見直すなどして変動費で3000〜4000万円浮かせました。
 ――7代目は何も言わなかった?
 渡辺 父親も本当は改革を断行したかったのだと思いますが、先代に遠慮していたのでしょう。6代目も7代目も養子。私は家付きの息子だから怖いものはなかった。どんどん切っていった。古くからいる従業員の中には、私に罵詈雑言を吐きながら辞めていく人も多くいました。父親から「お前には人徳がない」と言われこともありましたが、会社はいま改革期にあるとの信念で推し進めました。
おそらく父親が一番会社が変わったと思っているはず。ここ最近の会社の様子を見て、「良くやった」とようやく言ってくれます。
 ――今後どういう会社をめざすのか。
 渡辺 社会性のある企業にしたい。我々ができる社会問題の解決は2つ。1つは食のおいしさと安全性の継承、もう1つは若者の働きがいの創出です。
 くず餅は口にした時に自然と笑顔がこぼれる「口福(こうふく)」の食べ物であり、天然素材にこだわっていることや発酵食品という視点で健康にも良いことを広めていきます。
 また、我々が得意とする人材育成の手法は多くの企業に伝えたい。実は人材育成に取り組むコンサルタント企業も立ち上げました。私自身、各地のセミナーや講演に呼ばれ講師を務めています。
 ――いわゆる老舗企業のイメージではない。
 渡辺 老舗企業の経営は高速で回るコマのようなものです。止まっているように見えるが高速で回っている。軸もしっかり地に着いている。
 もちろん創業213年の歴史の重みは感じていますが、常に革新的なことに挑戦したいと思っています。SNSを活用したマーケティングとブランディングもその1つです。
 消費者は会社のブランド価値をどこに見るか。1番は社員です。社長や広告ではない。社員教育いわゆる「インナーブランディング」こそが会社のブランディング価値を高めるのです。
 ――家訓は「売るより作れ」だ。
 渡辺 昔はいいものを作れば売れました。だが、今は家訓に従っていいものを作っていれば売れるという時代ではない。時代に合わせて(家訓を)解釈することが大事。「作る」とはどういうことか、禅問答のように問いかけています。
 どうすればお客様が喜んでくれるか、どうすればお客様のライフスタイルが良くなるか、どうすればお客様に感動を与えられるかということに常に向き合っています。

(わたなべ・まさし)1964年生まれ。1986年三和銀行(現三菱UFJ銀行)入行。日比谷支店で融資業務、本店市場営業部でディーリング業務、銀座支店で営業に従事した後、1993年退職。同年、専務取締役として船橋屋入社。2008年代表取締役就任。立教大学経済学部卒業。