果てなき“包む”技、苦い経験をバネに
コバード 代表取締役社長 小林 博紀氏

 2014年7月社長になった。それまで専務として、開発者である父・小林将男会長(当時社長)を長年支えてきた。「福井の発明王」と称される小林会長はメディアに取り上げられることもしばしば。その発明王が活き活きできるのも、コバード社員1人ひとりが自分の持ち味を発揮しているからだと小林新社長は語る。

小林社長、食品機械製造のきっかけとなった、“羽二重餅”に
欠かせない“求肥”の製造機械とともに

 “開発型企業”であることが同社の持ち味。明治27年創業以来菓子の木型彫刻業を営んでいたが、3代目である小林会長が「これからは機械の時代」と、1962年(昭和37年)に食品機械類の販売を開始した。
 ある日、取引先から地元福井県の特産品である羽二重餅を作るのが大変なため、簡単にできる機械はないかと要請があった。それをきっかけに、販売だけでなく自ら機械の開発に乗り出した。
 まず、羽二重餅の“蒸す”、“練る”技術を機械化することに成功し、初めて実用新案を取得。その後も“切る”技術を開発し、3日がかりの菓子職人の作業を1時間と大幅に省力化するとともに、品質を向上させ、全国販売が可能な商品に仕立て上げた。その後も、“延ばす”、“折りたたむ”、“丸める”、“包む”技術を次々と開発していった。
 「福井の発明王」――。将男氏のことを人はそう讃える。メディアも取り上げる。博紀氏もそのことに感謝するとともに、次のようにも語る。「会長ひとりの功績だけではありません。ひらめいたものを形にする技術者、それを全国各地に提案する営業マン、ユーザーが困ったときにサポートするメンテナンス担当者。こうした社員がいるからこそ、コバードは存在できるのです」と新社長博紀氏は社員1人ひとりを労う。もちろん、父・将男氏のことを尊敬していることは間違いない。「(父は)会長となりましたが、今後も開発面で活躍していただく」と笑みを浮かべる。

 同社の代表機種である包餡機「マジックハンド」。2001年に誕生した。これまで、発酵したパン生地に餡やジャムなどの具材を包む過程では、生地が傷みやすいなどの課題があり機械化が難しかった。これらの課題を解決したマジックハンドは、パン生地を傷めずに包み込み、手包みを超える安定した品質で製造でき、シチューなどの液体状の具材までも包み込むことができる。
 まず、大手製パンメーカーが採用、24時間製造体制の無人化にも寄与する設備として全国の工場で導入した。その後も製パンメーカーを中心に採用が続いている。丸型やパーカー型、リーフ型など包み込む形状も様々。手作り風の餃子の製造でも活かされている。
 「マジックハンドは大型機から小型機まであり、順調な広がりを見せています。ただ、導入先が大手メーカーに偏っているため、中小規模のメーカーに向けた提案が今後の課題です。そのため、もう少し価格を抑えて提供できないか、あるいは構造をよりシンプルにできないか、ラインを組みやすくできないか――など取り組むべきことは尽きません。どのタイプのユーザーでも更新を考えているときに、選んでいただけるような機械にしなければなりません」と説明する。

 同社が得意とする“包む”技術。日本だけでなく、海外、特にアジア各国でも“ファン”を獲得している。「中国とは古くからお付き合いがあります」と小林社長。中華菓子「月餅」が同社の技術と合致した。
 多層に包む包餡機。日本では二重包餡が主流だが、中国では三重、四重と種類も様々。婚礼などお祝い事には、複雑なものほど価値が出てくる。
 日本にもイチゴ大福や栗饅頭など固形物を包む食品はある。中国の月餅では、アヒルの卵、しかも2つ入っているものが一番高い。こうした文化が同社の機械とマッチし、受け入れられたという。「付加価値のあるものを作りたいという中国のメーカーから多く引き合いがありました」。
 「マジックハンド」の誕生前夜から中国などアジア圏とはこのような関係がある。同機完成後も“包む”技術の人気は変わらない。中国などアジアでは手作業の方が低コストでできる場合が多いが、手で包みにくい種類の生地を使った製品にも対応できる点が大きな強みとなり、導入を伸ばしている。
 「当社の売上げはアジア圏の比率が年々高まっています。今後も伸びていくと見込んでいます。代理店など海外販売体制をもう一度見直して、この需要に万全に応えられるようにしなければなりません」。

 「当社の持ち味は残しつつ、変えるべきところは変えていかなければなりません」とも小林社長は語る。過去に大きな商談があり、その機械化に成功。だが、それを量産化してほしいという要望には応えることができなかった。
 「当時の当社の力では量産化が厳しく、断念せざるを得ませんでした。それが会社を守る最善の判断でした。しかし、あのときギリギリのところまで交渉していれば、また違った結果になっていたかもしれません」と小林社長。「当社に足りなかったものを気づかされました。技術があるだけではダメ。それをお客様が見つけ、使っていただき、喜んでいただいてこそ、当社の存在意義があります」。そのような苦い経験があるからこそ、将来につなげていけるに違いない。さらなる飛躍を誓っている。

 フードエンジニアリングタイムス(FEN)2015年1月7日号掲載