「日本の技術をアジアの標準にする」
三幸機械 田中利幸社長

 日本の製パン製菓機械メーカーが中国のベーカリー関係者の間でブランドとして浸透し始めている。中でも、中国戦略に早い段階から取り組んできた三幸機械。「日本製の食品機械は高水準で今はまだ高価。しかし、近い将来、それがアジアの標準に根付けば、日本製機械の市場はさらに拡大する」と夢を広げる。日本製パン製菓機械工業会の理事長も務める田中利幸社長にその事情を聞いた。

      田中社長

 ――工業会の09年度の実績は。
 田中 製パン・製菓機械の総出荷量は全体としてほとんど前年と変わりませんでした。厳密にいえば2%落ちていますが、その中で製パン機械の市場は390億円弱で10%伸びました。輸出も含んでおり、特にアジア向けが中心となりました。また、日本のユーザーも入れ替えの時期に入った結果でしょう。一方、製菓機械は270億円強で、こちらは数%落ちました。私たち工業会は製パン・製菓機械のほかに、包装機械やその他の食品機械も一部扱っています。これらを含め、トータルで2%減ということになります。パンも菓子も消費量はほぼ決まっており、劇的な変化はありません。極端に下がることはありませんが、今後の少子化を懸念すると上がる要素も望めません。

 ――日本の食品加工機械の技術は高水準で、どのメーカーの機械もすばらしい。
 田中 私たち機械メーカーは時代を反映したユーザーの要求に即応してきたと自負しています。何もなかったところから機械化し、高度経済成長期の“大量生産”、その後の“省力化”、“省エネ化”、そして現在に通じる“多品種少量”の生産に対応してきました。

 ――時代を反映している。
 田中 今、感じていることは開発のターゲットが非常に難しくなったことです。以前は“大量生産”というように、誰もが同じ方向を向いていました。しかし、最近ではどのユーザーも違った視線で商品開発に臨んでいます。ユーザーも生き残りに真剣ですが、私たちも同じ。ユーザーの細かな要求、アイデアに応えられる柔軟な対応と、こちらから新しい提案を投げかける姿勢でいかないとビジネスとして成り立たなくなっています。待っているだけでは相手にされません。機械を作れば売れる、という時代は終わりました。

 ――三幸機械としてのユーザー層は?
 田中 自動ラインの大型オーブンから、中規模の製パン工場向け、街中のベーカリーショップまで幅広くお付き合いしています。大型機は5000万、6000万円の市場ですが、波があります。小型〜中型オーブンには安定的な需要があり、確実な市場になっています。このユーザー層の動向をしっかり追わなければなりません。当然の話ですが、どの機械メーカーも同じように考えているわけで、競争が激しく、案件を逃すわけにはいきません。事業を左右する重要な市場です。

 ――日本の市場は飽和状態だ。そこで中国に目を向ける必要がある。田中さんは工業会でも「中国市場を視野に」とさかんに呼びかけている。
 田中 7年前、上海に独立資本の工場を作りました。“現地生産”、“現地供給”。そうでなければ、経費、関税の問題もあり、競争には勝てません。中国には受け皿となる市場がまだまだあります。

 ――中国は一概に語れない部分もあると思う。ある機械メーカーに聞くと、以前中国に進出したものの、技術を真似されて大変な目にあったと嘆いていた。危惧する側面もあるはず。
 田中 恐れてばかりでは、初めから中国市場には取り入れられないでしょう。真似されるのが嫌なら現地生産を、その前に中国をあきらめた方がいいと思います。それを越えなければなりません。真似されない製品はダメ、コピーが出回らないとダメ、真似されて一人前、認められたと思うくらいの度量が必要です。コピーするに値する魅力的な製品だということです。
 中国は確かにそのような側面があります。しかし、その極端な段階は過ぎたといってもいいでしょう。今は事情が少し異なります。私たちが取り引きする中国のユーザーは本物とコピーの違いを理解しています。日本メーカーのオーブンの性能や品質を理解していて、クオリティの高いパンを作り、企業としてベーカリーにしっかり取り組んでいこうという人たちです。中国製の安いオーブンは気にかけません。これらの層は全体の5%ほどと言ってもいいでしょう。

 ――本物をわかる層をターゲットにしているわけだ。
 田中 このユーザー層は“三幸機械のオーブンでないとダメ”と指名で来てくれます。1人に機械の良さを理解してもらうと、次の日には100人に知れ渡っているほど、伝達がとても速い。中国人の情報交換力に驚かされます。こちらから宣伝しなくても、どんどん伝播していきます。

 ――三幸機械の中国進出はいい時期の判断だったと思う。2、3年前に進出していたのではこうはならなかった。
 田中 結果的に、そうなりましたね。しかし、いい時期とは言いながらも当初の2年は大変苦労しました。何もないところから開拓しなければなりませんでした。また、中国に進出する前にスタッフを養成しなければなりません。人材こそが機械の品質を上げます。

 ――スタッフの養成というと、具体的には?
 田中 15年ほど前に中国の留学生を採用しました。人手が足りないから外国人を雇うという発想ではなくて、ビジネスに活躍する人材としての採用です。彼に“日本で骨を埋める覚悟でやりなさい”と求めました。彼を側近に置いて常に行動を共にし、育ててきました。彼は今では現地法人の社長として、日本と中国を行き来して活躍しています。

 ――中国に進出するには、まず中国人を本社の中枢に置いたわけだ。
 田中 そこまで信頼しなくては結果に結びつきません。彼は言わば“孫悟空”です。トップの身代わりになる――そのような精神構造の人材を中国人の中から育てなければいけません。“合弁会社を作ったら、2、3年で取られた”、“生産受託したら技術だけ取られた”。こういう他人任せな姿勢ではいつまでたっても成功はしないでしょう。まずは身をもって経験し、苦労することが必要です。現地の役人との接し方も肌で感じることでしょう。

 ――今後、どのように向かう? まず工業会としては?
 田中 大阪で開催した第1回のモバックショーから関わってきましたが、現在の中国の姿がありましたね。まさに博覧会。機械を出展すれば売れる――という時代。見に来るユーザーも、それに応じる出展社も誰もが明るかった。現在はビジネスの場として意識しなければいけませんね。
 日本市場向けと海外、特にアジア市場向けの内容と演出にしなければなりません。現在の日本は高品質、安全、衛生、研ぎ澄まされた技術など、どれをとっても独特です。これはアジアの標準ではありません。しかし、今が標準ではないのであって、近い将来は日本がアジアの標準になるということをアジア各国からの来場者に理解してもらいたく思います。“モバックにはアジアの将来がある”をテーマに、日本の最先端技術はアジアの進行形なんだ、自分たちも近い将来にはこの技術が標準となる――元気になれる展示会にしたいと思います。

 ――三幸機械としては?
 田中 会社としても、日本の標準がアジアの標準になれるように進めていきたいですね。どの産業を見ても、日本は標準取りが下手です。標準を取り損ねると大市場を失ってしまい、日本だけが宙に浮いてしまう。社員には“日本と中国の間に海があると思うな”と言っており、絶えず中国の動向に後れをとるなと呼びかけています。